2011/03/23
「明日から通常業務です」というメールが届いたのが昨晩の20時過ぎ.私は通常業務だろうが自宅待機だろうが会社に行くつもりだったのでどうでもよかったのですが、そこそこ慌てた社員もいたようです.実家に帰省しちゃってたりとか(自宅待機なのにね).
結局2日ほど自宅待機期間があったわけなのですが、世間の状況が大きく改善されたわけでもないので、なにをもって自宅待機が解除になったのかも不明でいまひとつピリッとしません.
原発のほうは徐々に状況が改善されつつある(ように見える)反面、農作物から放射性物質が検出されるなど、マイナスの面も出てくるようになってきました.
農作物から放射性物質を検出、とかいうと怖いのは風評被害です.個人的見解ですが、放射性物質の飛散よりも風評被害や差別のほうがよっぽど怖いです.茨城産のほうれん草から基準を超える放射性物質が検出されたところ、茨城産の他の野菜も扱いを拒否されたり、さらには他県のほうれん草まで扱いを拒否されたりと、過剰なまでの拒否反応が出つつあるようです.さらにバカバカしいのは、米不足とかいわれているにもかかわらず福島産の米が店頭から撤去されているとか.その米はいったいいつとれた米なのか、店舗も消費者も少し冷静になって考えたらこんな愚かな現象は起きないのに、残念な限りです.
いつぞやのようにカイワレ大根を食べて安全性をアピールとかいうような無意味なパフォーマンスはしなくてよいので、政府にはとにかく農作物などに対する必要以上の不安感や風評被害を払拭する方向に動いていただきたいものです.もっとも、その肝心の政府が不安感に充ち満ちているので難しいところかもしれませんが.
不安感を煽るといえば、発売中のAERAの表紙は見てビックリでした.「放射能がくる」というビミョウに間違った言い回しの大見出しとともに防護服を着た顔のアップ.これで不安を煽っていないといったら嘘になるでしょう.実際、AERA編集部にはクレームが殺到したようで、Webにはおわびが掲載されています.逆の意味でビックリなのが週刊ポスト.赤ちゃんを抱きかかえて微笑む自衛官の写真を表紙に「日本を信じよう」の大見出し.今回のような大災害の時には各編集部の本性というか本音のようなものが出るのかもしれません.
【追記】
他の農産物などでも放射能汚染が確認されているものが増えてきました.汚染されているものを明確にすることで、それ以外ものが安心であることをアピールしたいという意向のようですが、消費者にそれをどうやって浸透させていくか、非常に難しいところだと思います.
2011/03/19

GR DIGITAL III
震災が起こる5日ほど前、先週の月曜くらいにMakro-Planar 50mm F2 ZFを購入しました.
50mm近辺のレンズはNikkor-H Auto 50mm F2(Ai非改造、D40用)、Planar 50mm F1.4 ZF、Nokton 58mm F1.4 SLIIを持っていますが、マクロレンズで寄れてなおかつ普通にも使えるような逸品が欲しいと思って購入することにしました.
AF-S Nikkor 60mm F2.8GやAi-S Micro-Nikkor 55mm F2.8などとも迷ったのですが、1段明るく標準レンズとしても使いでのあるこちらを選びました.

Nikon D700+Carl Zeiss Makro-Planar 50mm F2 ZF ISO200 F4 1/1,000秒
本当は先週末に試し撮りをして、この週末は長野方面にでかける予定でいたのですが震災の影響で見送り.いまは遠出をする気分にもなれないので、自転車で行けるところとして豪徳寺にやってきました.
着いてから気付いたのですが、お彼岸なのですね.入り口横では線香やお花を売るテントが出ていました.

Nikon D700+Carl Zeiss Makro-Planar 50mm F2 ZF ISO200 F5.6 1/250秒
梅が終わって桜はまだ先という、いまいちな時期でした.

Nikon D700+Carl Zeiss Makro-Planar 50mm F2 ZF ISO200 F5.6 1/2000秒
D700との組み合わせではピント合わせはかなりしやすいです.
このときは風が強くて布が激しく動いていたので、絞って撮りました.

Nikon D700+Carl Zeiss Makro-Planar 50mm F2 ZF ISO200 F2 1/350秒
1段くらい絞る方が画像が安定するのは大半のレンズにも共通することではありますが、このレンズの場合は絞り開放でも十分使えるレベルにあるのが魅力です.
絞り開放でこれだけ撮れれば文句の付けようがありません.
同じPlanarの名前が付いてはいるものの、50mm F1.4とはかなり違いがあります.50mm F1.4は絞りで画質が大きく変化しますが、こちらはほとんど変わらず安定しています.
Planar 50mm F1.4とNokton 58mm F1.4は似た傾向でNoktonのほうが解放でさらにゆるい画質なのですが、Makro-Planarと使い分けるとしたらこちらのほうが特性がハッキリ分かれて楽しいような気がします.ドナるとしたらPlanar 50mm F1.4でしょうか.
今日の東京は天気も良く、洗濯日和です.平日の日中は自宅にいなく、なおかつエアコンもコンセントを抜いているような状態なので換気をして室内も暖めることができてイイ感じです.
昼少し前に近所のスーパーに買い物に行ってきました.節電のために店内は薄暗くなっていましたが、品揃え自体は普段とそれほど変わらない感じでした.
買い占めの話題としてよく出てくるものをチェックしてみると
・パン:あふれかえるほどありました.食パンのみ一人一斤の制限
・牛乳:在庫少なめ.一人1リットル入りを1パックの制限
・総菜:大量在庫
・トイレットペーパー、ティッシュ:なし
・卵:確認せず
・カップ麺:確認せず
・米:なし
というような感じでした.自分はほとんど卵もカップ麺も買わないので存在を忘れていました.ほかの食べ物は非常に潤沢であり、品不足といった雰囲気はまったく感じられません.というよりも、そもそも品不足ではないのですから当然のことです.
棚からあふれかえるほど大量にあったパンの売り場には誰もいないのに、残り少ない牛乳の売り場には人が多くいました.在庫が少なくなると我も我もとつい買ってしまう、群集心理のようなものが働いているのかもしれません.
そういえば、パスタの在庫が少なめでした.保存食のほうに買い占め人たちの矛先が向いてきたのでしょうか?昨晩行った輸入食料品店には大量在庫していたので、一時的なものでしょう.
トイレットペーパーについて.
ずっと昔に録画したCATVのヒストリーチャンネルの「熱狂の70年代」という番組を昨晩見ていたのですが、そこでアメリカでオイルショックが起きたときの模様を伝えていました.ガソリン価格の上昇や、ガソリンスタンドに並ぶ長い行列、対策として偶数ナンバーは偶数日といった形での給油制限などなど.
そうした映像のあとで日本と同様にトイレットペーパーを大量に買い込んでいる人たちの姿が映し出されました.説明によると、どこかのトーク番組でオイルショックの話題になったときに「トイレットペーパーも品不足になるんじゃね?」とジョークを飛ばした結果、それが一人歩きして買い占め騒動に繋がったそうです.それが日本に飛び火して、そのときの記憶を持つ人たちが今回もトイレットペーパーを買い込んでいると、そういう構図ではないでしょうか.
40年前のアメリカンジョークに振り回されているというのもちょっと困ったものです.

GR DIGITAL III
普段は23時くらいまで営業している駅前のスーパーが19時で閉店してしまったり、品揃えが少なめだったりしてちょっと行きづらい状況が続いています.その反面、飲食店の客の入りが悪いという話を耳にするので、夕飯は外食にしようと思って「洋麺屋 五右衛門」に行ってきました.
五右衛門はかつては勤務先と駅の間にあってよく利用したのですが、再開発でなくなってしまって以来なので数年ぶりに食べました.食べたのはお気に入りメニューであるところの「なすとモッツァレラチーズのミートソース」.
久々に食べた懐かしい味.おいしくいただきました.
2011/03/18
昨日に引き続き、今日も出社は任意で自宅待機も可でした.私は普段と同じように出社し、定時を過ぎてから帰宅しました.
あの凄まじい地震から今日で1週間が経過しました.地震、津波、そして原発事故という3つの巨大な災害によって東北はもちろん、首都圏にも大きな変化が起きました.
翌日からなぜか買い占めが始まり、パンや米、トイレットペーパーなどが店頭から姿を消し、ガソリンスタンドには長蛇の列ができました.まるでニュース映像や親から聞かされたことのある、オイルショックが繰り返されているかのようでした.
そして徐々に悪化していく原発事故.自宅のブラウン管テレビが水をかぶったので近所の電気屋に新しいテレビを買いに行ったところ、店頭にちょうど映し出されていたのは煙を吐く1号機の姿でした.その後も続々と毎日のように他の原発も壊れ、無残な姿をさらけ出していきました.
電力不足が露呈して突如月曜から始まった計画停電による混乱.社内は空調が切られてジャケットを羽織ってマフラーを膝掛け代わりにして仕事をすることになりました.話題になるのは放射能の話ばかり.デマややみくもに恐怖感を煽るような報道も拍車をかけました.
福島第一原発がどうなるかは今はまだわかりませんが、厳しい結果になるのは間違いないことでしょう.
どこかの記事にも書かれていましたが、2011年は開国や終戦と並ぶ、大きな節目となる年になるのではないでしょうか.あとになって、あのときは大変だったねといえるようになっていればいいのですが.